リチャードブログ

思いの丈をつづります

今の自分と未来の自分、両方大切にするのってむずくない?

嫌われる勇気を読んだことがある人なら、「今を生きる」ことが大切なことは知っているだろう。

 

ご時世もあってここ2年の私は今を生きている。

 

これまで約30年、ずっと未来の自分が良い方向に向かうためだけに生きてきた。

 

60歳の自分が幸せであるために。

 

たとえば幼少期〜高校までは良い大学に入るためにかなり勉強をした。

 

古い思い出はほとんど忘れていくタイプの人間なので、断片的にしか覚えていないのだが、中学・高校は部活動もやりながら自宅に帰り1日2〜3時間は勉強していた。

 

朝6時に起きて朝練より早く学校へ行き自主練習、みんなと朝練を終え授業を受け、放課後練習をして、帰宅後ボールが見えなくなるまで自主練。

 

そして家に帰ったら夜23時に寝るまでごはんとお風呂以外は勉強。

 

よく学生時代に戻りたいっていうことを言う人がいるけれど、私の学生時代はこんなんだったからまったく戻りたいとは思わない。

 

そんな必死な思いをしてまぁまぁな大学に入り(受験は全部受かったが、失敗した。意味不明だと思うが、私の人生を象徴する出来事だ)、まぁまぁな会社に就職。

 

大学時代は特に何も頑張らずのうのうと過ごしていた。(この4年間は今を生きていた)

 

社会人になってからはずっと婚活を頑張っていたかと思う。

婚活といっても友達に誘われた合コンにもれなく参加し、垢抜ける努力は惜しまず、誘われたデートに繰り出すといった程度だが。

 

25歳くらいまでに相手を見つけて結婚しないと変な人に思われる、需要がなくなって結婚できず、子育てという大切な経験を積むこと無く終わる。1人でおばあちゃんになって孤独死コースだ。

 

女性の20代はいろいろとタイムリミットを感じて判断力が鈍る気がする。

 

私が今の知識をもっておじさんになったらこの判断力が鈍っている20代中頃の女子を狙うだろう。

 

そんな焦りの中、周りも特に好きでもない人とみんな結婚していった。

 

みんな心に思う人はいながらもそうではない人と結婚した。

 

私も同じくだ。心に思う人はいても現実問題家族として適した人かというとそうではなかったり、そもそも人生で自分から好きになれる人に出会える回数は非常に少ない。

 

そして人生でいちばん大切な決断を適当に身を任せて行う。

 

そんなもんだろうって思った。縁っていう言葉を嫌でも信頼して、進んだ。

 

それが人生孤独にならないための、将来幸せな自分になるための正しい大人な選択なんだって。

 

だけど、私は他の人と違って大人な選択を継続することはできなかった。選択後も頭の中でずっと反芻してしまう。これでいいのか、と。

 

好きじゃない人の子どもを残そうとは思えなかったし、お金のために男を上手く使うこともできなかった。

 

そんなことに気づいた折、世界は一変した。

 

突然誰とも会わない生活。

 

都心で10年暮らしていた私はリモートワークをきっかけに田舎の実家に戻った。

 

そして現在に至るのだが、ひたすらに自分だけと向き合う2年を過ごしてみて思う。

 

「今を楽しめている」と。

 

今までは

「この誘いを断ったら次呼ばれないんじゃないか」→未来の自分のため

「今婚活頑張らないと将来一人ぼっちだ」→将来の自分のため

人付き合いを全部将来の自分のためにしていた。

 

もちろん、瞬間瞬間で見ると楽しい側面もあるのだけど、こういう生活になって「誰とも会わなくてよい」と言われれば自分はその環境がすごく幸せなんだと知ることができた。

 

正直、このまま田舎にひきこもって誰とも会わず暮らすことで将来の自分に悪影響があるかもしれない。

 

でも、この生活をするまで一人ぼっちの将来が怖いものでしかなかったけれど、一人ぼっちの未来は楽で楽しいものかもしれないと気づくことができた。

 

今を生きてみた結果、自分が怯えていた将来が怯えるべき対象ではないかもしれないと可能性を見出すことができた。

 

今を生きるってすごい怖いことだと思っていたけど、今を生きることで新たな世界が広がることを知った。

 

いくらこんな世界になったとはいえ、私のように人生を一変させている人はいないだろう。

 

真面目に自粛して一人ぼっちで生きてる人なんていないだろう。

 

だからレアな環境で過ごした人が見えた世界を一意見として共有したかった。

 

今の自分も未来の自分も両方楽しめたらいいな。