リチャードブログ

思いの丈をつづります

自分は幸せなのか不幸なのか

・女

・五体満足

・病気なし

・障害なし

・父は公務員

・母は専業主婦

・虐待されたりしなかった

・旅行にも連れて行ってもらった

・部活も中高6年間できた

・田舎の一軒家(5000万らしい)が実家

・MARCH卒

・東証一部上場企業就職8年目

・年収600万

・仕事はホワイト

 

 

とっても幸せそうなプロフィールですよね。

 

憧れる人もいるんじゃないかな?

 

だけど、私は自分があまり幸せとは感じられない

 

 

なぜなら親の性格が割と変だから。

 

・父と母は喧嘩もしないけど仲良くもない

・母は父のことが好きで結婚した訳じゃないらしい

・母は貧しく育ち、母の母、つまり私の祖母からはとにかく安定した公務員と結婚しなさいと言われて母23歳のとき、お見合いで30歳の父と結婚する

(割と今思えばキモい年齢差だと感じる。当時の男の30歳って完全に売れ残りだし、30歳と37歳なら平気だけど23歳と30歳ってちょっと、、、)

・母25歳、父32歳歳で私が生まれ、母29歳、父36歳で弟が生まれる

・母は自己肯定感が強い人で自分が正しいと思ってる謎の自信家

・子どもながらに母のその性格は感じていて、中学校のとき、国語のテストでお母さんの性格を書きなさいって問題が出たので「常に自分が正しいと思っている」と書いたら100点だったのにブチギレられた

・母が貧しい家庭で育ったのは、幼い頃、母の父(私の祖父)が女を作って出て行ったから

・母の口癖は「イケメンはやめときなさい」だった

・大人になって祖父の写真を見たら竹内豊を超えるレベルのイケメンでビビった

・私は幼い頃から両親がよそよそしいのが理想の家庭じゃない気がしていて、「私は絶対恋愛結婚する!」と宣言していた

・母は「恋愛結婚なんてできないよ」と言った

・今思えば、こんなこと言う親って毒親じゃない?

・きっと母は、娘は自分より幸せになってほしくないんだと思う

・中学校の頃、私は小学校から好きだった男の子と付き合っていた

・「このまま付き合って結婚するんだ」と母に言うと、母は「幼なじみで結婚しても幸せにならないよ。お母さんの高校で付き合ってた人がそのまま結婚したけど幸せじゃないよ」と言われた

・「もっといろんな人と付き合った方がいい」とも言われた

・本事案も今思えば親としてあり得ないこと言ってる。根拠だってきっと嘘だ。

・ある日デート(と言っても公民館で話すだけ)から帰ると、母に「先生に見られたらどうするの、別れなさい」と言われる

→本件については私が大人になって初めて謝罪を受けた。友人に相談したら頭固いと言われたと。その時謝れよ。

・母は「親が認めた相手じゃないと幸せにならないよ」と強い口調で口癖のように言っていた

・「おばあちゃんはね、親に反対されて結婚したから逃げられちゃったんだよ」と。

・HSPの私は母が付き合っているのを快く思っていないことがなんとなく嫌だった

・私は母の「もっといろんな人と付き合った方がいい、幼なじみと結婚しても幸せにならない」この2つを信じた

・その結果、高校3年生の時に私から別れを切り出す

・幼なじみと結婚するのが1番幸せだよってあの時母が言ってくれていたらずっと付き合いは続いたと思う

・話は変わるが、うちには小学生以降の家族写真が1枚もない

・子供の頃は気づかなかったが、母が写真が嫌いらしい

・母の話ばかりだけど、父は一切と言っていいほど育児に口を出さない

・父との思い出は、弟と小学生の頃、兄弟喧嘩しているとお互いに包丁を持たされ、今から殺し合え!と煽られたこと

・父と母は私が小学3年生のとき離婚しかけている

・いわゆる嫁姑問題

・たしかに父の母は異常者。ちなみに父の姉も結婚してるけどマジで変人

・だけど、母は私が高校生くらいのとき、「私は幼い頃苦しすぎたからどんなことがあっても今が幸せだと思えるよ、だから離婚は絶対しないよ」となんのきっかけか忘れたけど自分語り?もしくは私への返しの言葉として言っていた

・私の記憶がないと思っているから言っていたと思うけど、「でもお母さん私が3年生のとき離婚しようとしてたじゃん」というとたじたじしてた

・このように、母は自分の都合の良い話を持ってきて私を教育しようとする

・大学受験。母は私を地元に残したかったから、東京の悪いことを吹き込んでくる

・母はいつも自分の思ったように操るために、相手の思う方向の悪口を言う。その悪口も非常に拙くて根拠にかけることばかり。

・とりあえずお金がそれほどないのは本当だから国公立を目指して頑張ってた

・第一志望の東京外国語大学はセンターでコケてC判定

・今思えば二次の比率が高いから全然逆転できたと思う

・担任も私なら行けると言ってくれた

・でも国公立しかダメと言われた手前、私は諦めてレベルを落として首都大学東京を受け、合格。

・後期は埼玉大学に出してこれも受かってた

・滑り止めにはMARCHを受けていて、これも受かってた

・母は首都大学東京を知らなかったらしく、「合コンでMARCHって言ったほうがモテるんじゃない?」と私の3年間を棒に振るような言葉で結局MARCHに進学した

・私は実家が嫌いだったから、学生時代の長期休暇はバイトに明け暮れ、年末年始さえ実家に帰らない年もあった

・私が結婚するとき、私は母の言いつけを守り、顔で選ばなかったしお金に苦労しなさそうな人を選んだ

・でも好きじゃなかった

・父と母は人を見る目がなく、あわせた時いい人だねなんで馬鹿げたことを言っていた

・結婚相手を地元の友達に紹介した時はみんな驚いてたのに笑

・母は馬鹿だから「結婚相手は浮気しなさそうだね」と言っていた

・私はバチくそ浮気するよ、元カノの時も浮気してたよというと母は「そうなの?」と笑ってた

・結婚前に結婚相手が浮気してたことを両親に言ったけど、母は「あなたはそれでいいの?」とこっちに決断を委ねてきた

・あんなに昔は親が認めた人じゃないとって息巻いてたのに、自分で責任を負うのは嫌なんですね

・母に「結婚相手が好き?」と聞かれて「好きじゃないよ」と答える。「好きじゃない人と結婚するの?」「だってお母さんだって好きじゃない人と結婚してるじゃん」「それもそうね」と言っていた

・結婚の挨拶では父は「どうぞどうぞ」と言っていた

・友達のお母さんは自分の娘が格下の男と結婚することになり、納得できなくて相手の男を一部上場企業に転職させて結婚を許可した。1年くらいかけて。

・そんな大切にされている、親として娘の責任を負っている親を羨ましく思った

・結局、私が結婚生活を送る間両親はまともに助けてくれなかった

・私が殴られても旦那は私がこんなことを言ったからと言い訳し、両親はそれならあなたが悪いと言った

・さすがに結婚生活している時は結婚生活を30年も送っている母を頼って相談したけど、「男の人は疲れている時に遊びに行こうっていわれるの嫌らしいよ」と話の筋とは違うことを言われ、母に話す気は失せた

・それでも愚痴を言っていると「家庭は女の人が明るくしないとダメだよ」となぜか私が怒られる

・結局浮気した元旦那に、父はこの画像を見るといいことがあるよという夕日の写真を元旦那に送っていた。女子高生かよ。お前も昔浮気してたのか?

・私は心療内科に通っていることを母に報告したら、母は「そんなところにいくくらいなら占いに行った方がいいよ」と助言をしてくれた

 

 

 

 

私は生き方が下手で人生たくさん失敗している。

 

プロフィールで書く分には申し分のない家庭に生まれた訳だけど、自分はこんな変な両親の元に生まれて不幸だって思ってる。

 

愛のある家庭に育った子が羨ましかった。両親が愛し合ってて、家には家族写真が飾ってあって、親と恋愛の話ができるような家族が羨ましかった。

 

私は幸せなのでしょうか?不幸なのでしょうか?